病院を退院後、社会(学校)に復帰するまでのリハビリや葛藤がキツい!

どうも!いっくんです!

「急性硬膜外血腫・脳挫傷」で、退院してからのリハビリ生活について。

 

入院中には早く退院したがってた私ですが・・・

実際に退院してみたら「メンタルが不安定」になったりしました笑

 

「学校への復帰」や「地味なリハビリ生活」はけっこーしんどいものでしたよ!

孤独なリハビリを経て、完治へと進んでいきました。

「退院後のリハビリ生活」について!

リハビリは孤独にやっていた!

交通事故に遭って「急性硬膜外血腫・脳挫傷の手術」をして退院した後の話です。

 

「小脳のダメージ」のせいで、平衡感覚が狂ったままだったので・・・

最初は「松葉杖」をついてずっと歩行練習してましたよ。

 

当時のうちの庭は、一周ぐるっと回れる造りになってたのでね

庭をずーっとウロウロ歩いてみたり。

 

慣れてきた頃には、家のすぐ前の道路を往復したり。

お爺ちゃんみたいにふらふらしながら、ひたすら歩き回ってました笑

 

めちゃくちゃ孤独だし、人の目があるので恥ずかしかったですけど。

その時にできる「最大限のリハビリ」は、歩くことだけでした。

 

「平衡感覚の悪さ」をコントロールできるようになった!

退院してからリハビリを重ねても・・・

小脳のダメージから、身体が右側に傾いちゃう状態は続きました。

いっくん
片足立ちなんてやったら、一瞬で右側に倒れます笑 

歩く時は意識して左側に身体を傾ければ、それでやっとまっすぐ歩けるんですよね笑

 

それを何か月も続けていくうちに、補正して歩いてる状態が段々と普通になってくるんですよ!

そしてふと意識が無意識に変わる瞬間みたいなのがあって・・・

 

傾きは綺麗に補正されて、ちゃんとまっすぐに歩けるようになりました!

 

リハビリを継続して、中学3年頃にはほぼ完治!

リハビリに関しては、振り返ってみると全然スムーズではないです。

 

頑張って歩いた後には、その反動で体調が悪くなるから「一進一退」でした。

だから気分的にもいつもモヤモヤしながら過ごしてました笑

 

少しでも良くなることを期待してはいましたけど・・・

思うような成果が出ない事への焦りや怒りがありました。

 

中学1~3年生まで、どんなにしんどくてもバカみたいに歩く青春を送りました笑

着実に良くはなっていって・・・

ちょっとずつ運動の幅も広げて、「小走りしたり、ボールを投げてみたり」って感じでね。

 

中学3年生の夏には、走ったり軽いスポーツをできるまでになりました!

 

それからは後遺症は「右耳の難聴ぐらいかな?」って感じになりました。

 

退院後の葛藤とは?

退院後はメンタルが不安定に!

中学1年生だった私はとにかく退院したがってたんですけど。

実際に退院して自宅にいると、メンタルが不安定になりました笑

 

日常生活がまだちゃんと送れない状況だったので、しばらくはずっと家の中に居ましたよ。

良くなるかどうか分からない環境の中で、悶々と過ごす日々でした・・・

 

事故の悔しさや苛立ちに押し潰されそうになる

私は交通事故に遭って「急性硬膜外血腫・脳挫傷」になったワケですけど。

事故は被害者側の立場だったのでね。

 

私の中で加害者への「苛立ちや憤り」が高まったのは・・・

退院後から身体が回復するまでの間でした。

 

なんせ時間は持て余していたのでね。

「あの時に事故に遭わなければ、今頃普通に学校に通ってたのに」

「あいつ(加害者)のせいで、俺の人生が狂わされた・・・!」

考える事はマジでろくでもないことばかりでしたよ!

いっくん
当時の自分みたいな状況の人が犯罪を犯すんだろうな・・・笑
今となっては全然気にしてないし、そもそも加害者を思い出すこともないし。

本心で割とどうでもいいと思ってます笑

 

「困った時には誰も助けてくれない」と悟った

とにかく「ネガティブな思考展開」に陥っていたので・・・

そこから立ち直るまでの間は、かなりツラかった記憶があります。

 

まあ所詮は「中学生のメンタル」だったので笑

 

今思えば、実物以上に物事を深刻にとらえてたし。

「一人で余計に苦しんでた」って感じも否めません。

いっくん
子供ながらに誰も助けてくれないことだけは強く実感しました。

もちろん表面的な「言葉掛け」ぐらいはたくさんありましたけどね。

みんなホントにぺらぺらなんですよ笑

 

「時間と労力」を割いて、本気で向き合ってくれる人は当時いませんでした。

それが悲しくて悔しくて、人間不信みたいにもなりましたね。

 

負の連鎖は途中で断ち切った!

自分がいくら落ち込み続けても、いつまで経っても誰も助けてはくれないので・・・笑

 

そしてある日気付いたんですよね。

いっくん
このままだと、一生この無限ループだな

その悪循環からどうにか抜け出しました。

 

この経験をきっかけに・・・

私は「いざという時、困ってる人を助けられる人間になろう」って思いましたね。

 

これは綺麗ごとじゃなくね。

だから誰かにトラブルが起こった時は、どうにかして助けようとします。 もう自分の中の意地みたいなもんですよね笑

学校に復帰したのは「退院から3か月後」!

退院してからは、近いうちに学校に復帰しなきゃいけませんでした。

でも当時の心境としては「今の状態じゃ戻りたくない」って感じでしたね!

 

みんなから好奇な目で見られるのが分かってたし。

1度行かない期間ができると、行くのが億劫になるんですよね。

いっくん
登校拒否になる学生の気持ちが、この時にめっちゃ分かりました!

もうホント、痛いぐらいにね笑

 

でもずっと行かないワケにも行かないのでね。3か月後には意を決して戻りましたよ笑

今当時を振り返ってみると・・・

あの葛藤してた時に、ムリして行っといてよかったと思ってます。

 

あのタイミングで戻らなかったら、マジで社会生活に復帰できなかったと思います!

 

いっくんのまとめ

今回は急性硬膜外血腫・脳挫傷になって、退院してからの経過でした!

 

私は事故に遭ってからちょうど1カ月で退院しましたが。

そこからはスムーズに社会生活に戻れたわけではありませんでした。

 

まだ中学生だったのもあって、メンタル的にはけっこー追い込まれたし。

周りの友達の成長を見るたびに、焦りや後悔、色んな感情を抱いていました。

 

まあリハビリを繰り返して、普通に日常生活ができるまで回復したので。

今となっては「貴重な人生経験をしたな」って本気で思ってます笑

 

ちなみに高校生になってからは、コンプレックスから身体を鍛えまくりますよ!

「急性硬膜外血腫・脳挫傷」の手術から完治までの体験記【まとめ】